先達はあらまほしきことなり
『徒然草』第52段「仁和寺にある法師」
〜仁和寺にある法師、年寄るまで、石清水を拝まざりければ、心うく覚えて、ある時思ひ立ちて、ただ一人徒歩より詣でけり。極楽寺・高良などを拝みて、かばかりと心得て帰りにけり。さ て、かたへの人に会ひて、「年ごろ思ひつること、果たし侍りぬ。聞きしにも過ぎて、尊くこそおは しけれ。そも、参りたる人ごとに山へ登りしは、何事かありけん、ゆかしかりしかど、神へ参るこそ 本意なれと思ひて、山までは見ず」とぞ言ひける。
少しのことにも、先達はあらまほしきことなり。〜
高校の頃の古文の授業で出てきた一節です。
徒然草は、吉田兼好 (1283-1350) が鎌倉時代末期に書いた随筆集で、
たしか、上記抜粋部分を暗記したような気もします。
ただ私は
「石清水八幡宮を詣りけるに」
という一文がどこかにあったように思うのですが・・。
記憶違いかなあ。調べてもないので。
それにしても、
先達はあらまほしきことなり
のインパクトの強いこと!
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